枢木くん、枢木くん。といつもの嘘くさい(とスザクは思っている)笑顔でシュナイゼルが手招いているのだから警戒してしまった自分は何も悪くないと思う。スザクは、彼の弟の騎士だとはいえただの一兵士である。そのスザクの名前にシュナイゼルが敬称をつけて呼ぶことを、恐れ多いと畏まる前に嘘くさいといぶかしがる人間だった。
人は皆シュナイゼルのことを誰にでも分け隔てなくする公平な心を持った心優しき人だと噂するがスザクはそれを心の中で否定する。彼が公平だということは認めるが、だからこそスザクは彼を優しいとは思わない。公平と優しさは全く違うものだろうに。だって彼の笑顔が誰にでも同じに向けられるのは、彼が人間を全て同じにしか見えていない証拠ではないか。特別が存在しないのだ。彼の世界には自分以外には他人というカテゴリしかない。そしてそれは優しさには成り得ない。平等は時として残酷さになる。
ああでも。とスザクは思い出す。彼にも情は存在する。
彼の笑顔は兄弟の限られた者に向けられるときだけは少しだけ甘さを帯る。慈愛のような、あるいは愚かさを愛しむような。それは彼に唯一残された心の柔らかい部分なのかと初めて目にしたときは言いようのない居心地の悪さを感じたものだ。そして彼自信もそれに気付いてはいない。愛しむ者を持ちながらそれを知らぬ愚かさは美しい男の中には余りにも道化じみていてスザクに少しのもの悲しさを教えた。全て持っているようでその実何も持たぬ人。可哀想な人。それが今のところのシュナイゼルの印象だった。シュナイゼルは笑みを崩さず相変わらず部下にするには親しすぎる様子で言葉を向ける。
「こんにちは。君がルルーシュと離れているのも珍しいね」
ルルーシュ、とスザクの主でもある弟の名を呼ぶときだけ瞳が緩く細められるのを確に見た。ああまただ、とスザクは舌打ちしたい気持ちになる。シュナイゼルが一部の者にしか見せない執着はとても分かりにくく、知らぬ人間には気付くことなど到底無理だが不本意ながらスザクには分かってしまう。スザクにとって主以上の存在であるルルーシュの名が兄であろうと他の人間に紡がれるのを不快に思ったのがきっかけだった。そして気づいてしまった。途端になんて馬鹿らしいと不快感よりも気だるさが勝って脱力したことを覚えている。
気を付けて聞けばそれはとてもあからさまだったのだ。クロヴィス、ルルーシュ、コーネリア、そしてユフィとナナリー。シュナイゼルはその名前だけ、大切に確かめるように呼ぶ。その存在がまだ掌に残っている事を喜ぶように。祈るように。無意識のうちに心を他人明け渡しているシュナイゼルをスザクは可哀想に、と哀れんだ。無意識はいけない。大切にしたいものに気付けていないのは悲しい事だ。守る努力も失う覚悟もできない。喪失と共に訪れるであろう悲壮は彼の心をも砕くのだろうか。絶望に染まる紫を想像するたびにスザクはとても嫌な気持ちになる。それは苛立ちに似てじわじわと心を蝕んでゆく。愚か者。愛しい一掴みすら守れなかった敗北者。きっとスザクは彼を許さないだろう。力を持っているくせに、恵まれた位置にいるくせに何もしようとしないだなんて!
それは自分が持たない力に対する妬みだろうか。騎士である自分は身を盾にしてでも主を守り抜く誓いがあり、それを誇りとして生きている。ルルーシュ、スザクの主、生きる理由。帰る場所。もちろんシュナイゼルに守ってもらおうだなんて考えていない。誰がこの役目を他人に譲るものか。スザクは騎士だ。ルルーシュを守り生きるのだから彼より長く生きるつもりは無い。シュナイゼルがもしルルーシュを失い、嘆くときにはスザクは既に盾となり死んでいるだろう。だからシュナイゼルの絶望に触れることはこの先ないはずだ。それなのに。
シュナイゼルはスザクの掌に色とりどりに包まれた飴玉を降らせた。それを驚くでもなく無感動に見つめ視線で意味を問うたスザクに苦笑する。
「貰い物なんだけれど食べきれなくてね」
毒は無いよ、ルルーシュと食べてくれると嬉しい。
それだけを伝えてシュナイゼルは踵を返して去って行く。スザクはその後ろ姿と掌の飴玉をしばらく見つめていた。カラフルな包み紙はスザクの掌のなかでは不格好に写る。毒は入っていないよ。シュナイゼルの冗談とも本気とも取れない発言を思い出してスザクは眉を寄せる。彼はこれを口にしたのだろうか。それなら、
(彼のキャンディには毒が入っていたら良かったのに)
そうすればもうこんな気持ちになることもない。ふと浮かんだ考えは余りにも憎しみに忠実すぎてスザクは自分の思考を少し恥じた。
神様がひとり