二月も最初の一週を終え近づいてくるバレンタインデーに学園内の空気もどこか浮ついているような雰囲気の放課後。楽しいことが大好きな例の会長が何か企画でも持ってくるんじゃないか、と冗談めいた生徒会室で談笑中に衝撃の事実を知ってしまった。
「ええっ、ルル、チョコレート捨てちゃうの?!!」
「だって気持ち悪いだろう?誰が持ってきたか分からない食べ物なんて」
あっさりと言われたそれにシャーリーは肩を落とすしかない。確かに少し目を離した隙に机の中に押し込まれているチョコーレートもその数が何十個ともなると嬉しいなんていっていられないのだろう。名乗りもせずに礼儀知らずな、という気持ちも分かる。だがそれでも思いの篭った包みを捨ててしまうと言うのは騒がずには居られなかった。だってバレンタインなのよ?!その日の重大さをまったく理解していないようなルルーシュの横顔に恨みがましい視線を送っても効果なし。彼はきっと女の子がどんな想いでその日にチョコレートを渡すかなんて知らないんだ。(知られていても困るけど!)
シャーリーの思い人はとても鈍い人だった。いや、普段は寧ろ聡明で機知に富んでいると言っていい人間だったが、ただ自分に対して向けられる好意に対して酷く鈍い人間だった。それは彼に恋するシャーリーにとって幸運であり同時に不運にもなりえた。彼が他の女の子の思いに気づくことも靡くこともないかわりに、当然シャーリーの思いに気づくことも有り得ない。彼は自惚れるという事をしないのだ。どんなに熱のこもった視線を向けられてもそれが自分に対するものだとは思わないし、言葉の深読みもしない。彼はただ直接向けられたものを事実として受け止め、自分の中で処理することしかしない人間だった。
思えば彼が自分自身の問題で感情を乱したのをシャーリーは見たことが無い。彼の嵐は彼の中だけで過ぎ去る。それが表に表れるのは唯一つ、彼の妹がかかわることだけだ。その時だけ彼は酷く人間らしく感情の波を目に見える形で表す。
彼は好意に愚鈍な人間だった。与えられることを知らず、たった一人の妹にだけ惜しみなく与えることを愛とする人間だった。
だから彼がチョコレートを受け取らない、と言った時に落胆すると同時に納得してしまう自分が居たのも事実だ。そうだこういう人だった。彼は好意にリボンを掛けた贈り物を喜ぶ前に不審物と疑う人間だ。それを理解したうえでなお彼に好意を持ち続けているのだから文句を言うつもりは無いが、やはり残念に思ってしまうのは仕方が無いだろう。だってバレンタインデーといったら女の子にとっては何よりも大事な日なのだ。
占領前の日本で行われていたチョコレートの贈り物はその風習の物珍しさも手伝ってブリタニアにも広まっていて、毎年この時期になるとさまざまな種類のチョコレートが店先に並び始める。甘い菓子に思いを乗せて手渡すだなんて素敵だな、当時まだ幼い少女だったシャーリーも父に贈り物を渡したものだ。幼い娘の無邪気な贈り物に微笑んでくれた父は今でも鮮明に思い出せる。それから毎年チョコレートを贈り続けた。けれど父のためにチョコレートを選ぶたびに、本命のチョコレートを買い求める友人たちを羨ましく思ったのも事実だ。彼女たちから聞く恋の話はシャーリーにとってはまだ未知の世界でそれはとても色鮮やかなものに思えた。私が恋をする人はチョコレートが好きだと良いな、そんなことを考えたりもしたのに、此処に来て門前払いにあうとは思わなかった。
まさか彼が父のように微笑んでくれる、なんて大層な願いは抱いていなくても、せめて受け取って食べてもらえたらとは考えていたのだ。はりきって手作りだってするつもりだったのに。目に見えて落ち込んだ様子の彼女に元凶の彼、ルルーシュは戸惑い気味だ。ホントに鈍いんだから。シャーリーは己の恋心すら呪い掛けた。どーせルルはナナちゃんのチョコは受け取るんでしょ。まったくシスコンなんだから!
本人に知られれば怒られそうな事まで考える。妹を大事にする彼も好きだけれど、その優しさの十分の一でも他人に向けてはくれないだろうか。
まあ無理だろうけれど。自分の想像に有り得ない有り得ないと頭を振る。というかそんなのルルーシュじゃない。失礼なことを考えつつ思考があっさりと自己完結しかけたそのとき、間に割って入る声が掛かった。
「え、ルルーシュ受け取らないの?」
声のする方を見ればスザクが如何にも傷つきました、と言う様な顔でアーサーを抱えて身を乗り出していた。その言葉を拾うに先ほどのルルーシュの発言を受けてのものだろうが、それでどうしてスザクがそんな顔をするのだろう。他の人間の言葉だったのなら、ルルーシュの余裕をからかっているのかとも思える言葉だったがスザクがそういう事をするとは思えない。彼は良くも悪くも人に対して真摯に向き合う人間だ。
状況についていけないのはシャーリーだけではないらしくルルーシュも突然声を上げた友人に困惑気味らしい。彼にしては珍しく困った顔をして落ち着けとスザクを宥め椅子を引いて座らせる。これがリヴァルだったら放置だろうに。滅多に無い彼のあからさまな気遣いにそういえば彼らが前からの友人らしいと言うことを思い出した。スザクもルルーシュにとっては妹に近い位置にいるのだろう。きっと他人の中では彼が一番だ。そうでなければルルーシュはこんな風に世話を焼いたりなどしないし、まるで妹に向けるような優しい表情で、同い年の友人に「どうした?」なんて聞いたりしないだろう。ルルーシュから最大の慈しみを受けるスザクを羨ましいと思った。もし自分が、いいや誰だって彼にあんな優しい顔を向けられたら真っ赤になってしまうだろうにスザクには照れる様子も戸惑う様子も見られない。それはスザクが普段からルルーシュにそう接しられる事に慣れている証拠だ。それに確かな嫉妬を覚える自分に気づいてシャーリーは驚いた。
(スザク君は男の子なのよ?!)
此処まで自分は心が狭い人間だっただろうか。まさか友人にまで嫉妬するなんて。戸惑うシャーリーの心情など知るよしも無い二人は親密さを隠しもせず話し始める。座ったままのスザクに立っているルルーシュが腰を折るようにして顔を近付け話を聞くつもりらしいが、少し二人の顔が近いような気がしないでもない。
特にスザク君、乗り出さなくても良いんじゃないかな。なんてツッこんでしまいそうになる。まるで耳打ちするように顔を近付けたスザクはあと少しでルルーシュの頬にキスできてしまいそうな距離だ。しかしルルーシュはその不自然にまで近い距離に何の疑問も感じる事は無いらしく素直にスザクの話を聞いている。本人が気にしていないのだからいつの間にか第三者になってしまっていたシャーリーは黙って見ることしか出来ない。
「受けとる受け取らないって何の話か分かってるのか?」
「チョコレートでしょう?」
ルルーシュの言葉に「やだなあ分かってるよ、」と笑うスザクは何時も通り朗らかで、側で見ていたシャーリーは一瞬ほだされかける。が、その前に疑問が沸き上がった。どうして彼が残念がるのだ?当のルルーシュは彼の純真な笑みすら見慣れたものだったのかシャーリーよりもスムーズに疑問を口にする。
「俺が受け取らなくって、なんでお前がそんな顔をするんだ」
「だってさ…せっかく用意したのに」
「は?」
主語のないスザクの言葉をルルーシュは理解できなかったのか、それとも理解したくなかったのか。用意ってなにを。彼は怪訝そうな顔を隠さずスザクに詰め寄った。もともと近かった顔が更に近付き、シャーリーは思わず悲鳴をあげそうになる。だから顔が近いって!今問題にすべきはそこでないと分かっているが気になって仕方ない。しかし無意識だろうそれにシャーリーが横から苦言をていす訳にもいかず言葉は飲み込まれた。だってなんだかヤブヘビになってしまいそうな気配すらする。もし指摘して気付いた二人に友人同士でない反応をされてしまったら自分はどうしたらいいのだ。
(って大丈夫大丈夫、私は何を心配してるのよ、)
そうだスザクとルルーシュは友達同士じゃない。そうちょっと仲の良い、友達で今は二人とも話に夢中だから距離の取り方を忘れているだけで他意なんて有る筈が
「僕、君のためにチョコレート作ったんだ」
ないと思っていたのに!
スザクの爆弾発言に固まったシャーリーを尻目に、ルルーシュは酷い感銘を受けたように「スザク…!」なんて呟いている。心なしか頬までうっすらと色付いていて、皆が良く知る、高嶺の花の近寄りがたいルルーシュ様!は陰もない。まあこれはこれで物凄い騒ぎになるだろうが。
シャーリーの悲鳴など知るはずもないルルーシュはションボリとうなだれた耳まで見えそうなスザクの手を取り、まるで妹にするように微笑んだ。まさか彼が妹以外にそんな表情を向けるなんて思っていなかった。しかもそれが同性の男に対してだということがシャーリーに大きなダメージを与える。ルルーシュに微笑まれたスザクは酷く幸せそうだ。正直羨ましい。というかいっそ憎い。
「馬鹿だな、それは知らない奴からの話だ。お前がくれるものを受け取らないはず無いだろ?」
「本当?!良かった!セシルさんも手伝ってくれたんだよ!」
「セシルさんって…お前、あのブルーベリーの…」
「だ、大丈夫!アレは日本食をよく理解してなかっただけだと思う、し…」
「口篭るな!」
あっというまに置いて行かれてしまった。おにぎりだなんだとシャーリーの知らない話題に盛り上がる二人を眺めていても仕方ないとは分かっている。そうだ他人の幸福を妬むよりも、彼が親しい人からならばチョコレートを受け取るということが判ったことを喜ぶべきだ。想い人の親友にまで嫉妬し、関係を邪推するなんて不健全で前向きでない。
第一彼等は仲のよい友人同士なのだから。、なのに、
「スザクがくれるというなら俺も作ってみるかな」
「本当!?嬉しいな!」
「14日はうちに来いよ、泊まって行けるだろ?」
「もちろん!わあ楽しみだな!」
はしゃぐスザクを苦笑しつつも優しい目で眺めているルルーシュの世界は既に完成されてしまった絶対不可侵の空気を持っていて。
(まったく勝てる気がしないんだけど…!!)