これは一体どういう状況なのだろうか。目の前で実際に起こり自分の身に降りかかっている事態なのに実感はなくまるで映画を見ているような気持ちになった。
スザクは今見知らぬ男に胸倉を捕まれ壁に押し付けられている。どう考えたって友好的な空気ではない。どうして自分が知らない男にこんな扱いを受けているのか。いや、まったく知らない人間というわけではない。寧ろその逆だ。知らない人間のほうが少ないであろう、この大帝国の次期皇帝を噂する声も多い第二皇子シュナイゼル殿下。スザクにとっては親友の義兄、の印象のほうが強い。
その男がスザクと目を合わせたとたん無言で歩み寄りそのまま壁に押し付けられて今のこの状況だ。思い返してもまったく訳が分からない。何だ何だ。彼と自分はまったくの初対面のはずだ。第二皇子の話題がでるとルルーシュはあからさまに嫌な顔をしていたけれどまさか初対面の人間に何の理由も明かさず暴力を振るうような人間だったのか?!


「枢木、だな?」
「は、はいっ?!」


地を這うような声とよく言うけれどこれはもう地の底から響いているんじゃないだろうか。こんな物凄いどろどろした音で名前を呼ばれたのは初めてだ。思わず声が上ずってしまった自分は何も悪くない。相手もそんな事を気にしている場合ではないらしくその返事を聞いて俯いてしまった。締め上げられたままの首元が苦しいがそんなことを言える空気ではない。助けを求めようにも周りも皇子の突然のご乱心に固まってしまっている。


そんな中でやはりというかロイドは唯一憶した様子はないが助けは端から当てにしていない。彼は例え人が崖で落ちかけていようとも何時もの「あは!」という奇怪な声を上げてそのまま脇に座り込み観察を始めるような人間だ。いやもしかしたら観察すらしないのかもしれない。彼は何時だってランスロットが一番だ。だから彼はもういい。


それよりも助けが見込めない今、スザク自身がこの目の前の人間をどうにかしければいけない。高々准尉の自分がどう皇族殿下に話しかけてわけの分からない怒りを静めてもらうにはどうしたらいいか。まあやるだけやるか。死にそうになったら最悪彼をつれて国外逃亡しよう。そこまで考えて決意した時ふと首元の拘束が緩んだ。


「いや、突然すまなかったな。つい昔のことを思い出して」
「いえ……」


謝られてしまってはスザクはもう「大丈夫です、」としか言えない。それよりも彼の言葉のほうが気になった。昔のことだって?当然スザクに彼との思い出などあるはずがない。強いて言うならあの兄妹絡みだがそれだってこちらが一方的に知っているだけだし何よりルルーシュは皇族の話をするのを嫌うから情報だってそうあるわけではなかった。せいぜいブリタニア軍に所属する軍人の平均より少しだけ皇族に詳しいというくらいだろう。


首をかしげていると彼が言葉を続けた。その表情は見事な皇族スマイル。年期が入っている分見慣れたルルーシュのそれよりも輝いて見える。そしてスザクはこの表情で言われた言葉が良いものであった例をしらない。そうだこの笑顔は彼ら皇族が有無を言わせない状態を作り出すための手段なのを自分は身に染みて知っている。そして知っているからといってどうなるものでないことも。


「枢木スザク。七年前は私の弟が随分世話になったようだね。よく聞いているよ」


最初から最後まで全部ね。
言われた言葉に先の暴力の原因を理解して自分の血の気が引いていく音を聞いた気がした。彼は枢木が幼い兄妹にした仕打ちを全て知っていたのだ。しかも全部というからには最悪の出会いから何から何まで全てだろう。
今一人で初対面の自分の愚かさを思い出しただけでも幼い自分に対する恥と後悔で死にたくなるっていうのにそれを他人に指摘されてしまうなんて。未だ微笑んだままのシュナイゼルにどう反応を返せばいいのか。そして彼の微笑が本当に怖い。




「どうしたのかな?あれの手紙には元気のいい子だと書かれていたが?」




これはもう殺されるな!笑顔のくせにまったく笑っていないシュナイゼルの瞳に睨まれてスザクは思わず姿勢を正す。まさか七年前にあれほど求めた断罪がこんな形で訪れるとは思わなかった。ああごめんねルルーシュ。まさか今日死ぬだなんて思っていなかったから彼にさようならも言えなかった。折角再会できたばかりなのにこんな形で。無念だ。


あとから考えたら笑ってしまうのだがスザクはこのとき本気で死を覚悟した。ブリタニア皇族の兄弟に対する偏愛っぷりは間近で見てきて良く知っている。今のシュナイゼルはルルーシュがナナリーに害を与えたものを排除するときと同じ目をしている。生き残れるわけがない。
しかし救いの手とはまったく予想もしなかったところから現れるものだ。スザクの救世主も思いがけない人物だった。




「はいはいはい殿下ぁー!彼をそんなに苛めないでやってくださいよぉ!ランスロットの大事なパーツなんですからねー!」


誰一人として破ることができなかったシュナイゼルの作り出した空気に間延びした声が響いた。シュナイゼルはスザクに向けていた何倍も険しい顔を声のしたほうへ向ける。恐らくそれがシュナイゼルの素の部分なのだろう。露骨な嫌悪は気安さゆえか。それを知っているロイドは他の人間ならば震え上がりそうな視線を受けて心底愉快そうに笑っている。やだなあ殿下そんな顔しちゃって。このとき間違いなく特派最強はセシルではなくロイドだっただろう。
シュナイゼルへ近づき膝を折り礼の形をとったロイドが彼の手の甲にキスを落とすのを見て普段のふざけた様子を知る技術部の面々は驚くことしかできない。皇帝の演説さえ不遜な態度で聞いていた彼が!ああこの人も人を敬うってことができたのか。けど男が男にキスはしません。


「お久しぶりです殿下。ご機嫌いかがですかぁ?」
「お前を見るまでは最高だった」
「あは!光栄だなぁ!僕もですよぉ!」


礼の形を勝手に解き何時もの人を観察するような姿勢でシュナイゼルの顔を覗き込むロイドに誰もが余計なことをしてくれるな!と心の中で叫ぶ。これ以上この上司の奇行で寿命を減らしたくはない。しかし当のシュナイゼル本人はそんなロイドの様子を見て楽しそうに笑った。それまでの完璧な表情ではなくどこか子供っぽさを感じさせる、おかしくて仕方ないという表情はそれまでの人形めいたようすからは想像できないものだ。細められた瞳は彼に似ていて彼は本当に幼馴染の兄なのだと改めてスザクに実感させる。彼は弟が生きているということを知らない。しかし先ほどの怒りは間違いなくその死んだ幼い弟妹を思う故の感情なのだろう。彼が生きているということを自分だけが知っていていいのか。きっと彼、ルルーシュは己の生存が本国に知られることを絶対に良しとしない。そういいきれるのに。心に落ちたそれはスザクを落ち着かなくさせる。



しかし、だ。



もし彼の最愛の弟が生きていて自分と友人以上の関係になっているだなんて知ったら一体どうなるんだろう。想像してみたら笑えなくて直ぐに考えるのをやめた。自分の上官がこんなヤバイ人だとは思っていなかった。これならばスザクに実害のないランスロット狂いのロイドのほうがずっとマシだ。こんな小舅にいびられる様な職場ならば転職を考えよう。もういっそ彼の大好きな黒の騎士団とかどうだろう。今は弟狂いの権力者よりもヘンな仮面男のほうがだいぶマトモに思える。ちょっと挫けそうだ。




「まあ枢木も今回はロイドに免じて許してやろう。まあ最後にはいい友達になってくれたようだしな」
「ありがとうございまーす!良かったねぇスザク君」
「は、はは…」






笑うしかできない。











七年後のメギド


※【メギド】古代パレスティナの都市。戦略的要地としてしばしば戦場となり、
ここから聖書のハルマゲドン(メギドの丘の意で人類最後の大戦)の観念が生まれたという。