その弟が皇帝へ謁見を申し込んだと言う話を聞いたとき、シュナイゼルは内心で狂喜した。なんという浅はかさ!愛すべき愚直!幼い弟があの皇帝をまだ父として認識していたことへの驚きと弟の捨てきれない甘さが愛おしくて仕方ない。そうだ、彼が愛しくてたまらない。


母と妹を小さな体で精一杯に守るようにして生きる弟をシュナイゼルは非常に気に入っている。血統のよさの上に胡坐をかき地位と名誉に酔う貴族たちに比べたらその弟のなんと賢く尊いことか。幼いながらに自分のおかれた環境と立場を理解し、決して出すぎた真似はせず己の才能をひけらかしたりしない。どうすれば母と妹が平穏に暮らせるのか、そんなことを懸命に考えている10にも満たぬ幼子を健気と思わない者がいるだろうか?


しかしそれに気づくものはごく僅か。己と、コーネリア。クロヴィスもその弟を気にかけ可愛がって入るようだが弟の本心に気づいているかは怪しいものだ。
ただ彼は純粋に幼い弟の相手をし、チェスに興じているだけなのかもしれない。(クロヴィスのその愚かしいまでの素直さも、確かにシュナイゼルの愛するところではあったのだが)


クロヴィスと件の弟がチェスに興じているところを何度も見たことがある。その世界は優しく色づき美しいもので、あの弟は相手が違えばこうも表情を変えるものなのかと驚いたのを覚えている。
なにせ幼い弟は笑っていたのだ。常のような対外用のそれではない。母と妹の前でだけで見せるような無邪気なそれに一瞬目を奪われた。自分ではこうはいかないだろう。シュナイゼルは彼に嫌われてしまっている。どんなに友好的に話をしようとしても彼は上手に上手にそれをかわしてみせた。(シュナイゼルは彼の内心で自分はどんな風に罵られているのか、想像しただけで胸が掬われる様な気持ちになる)しかしシュナイゼル自身彼に何をしたと言うわけでもないのだから彼はおそらく、何かシュナイゼルに関する噂話のようなものでも耳にしたのだろう。


(血も涙も無い第二皇子)(人を陥れるのがお上手で)(狐め!!)


それはもちろん表立ったものではないが、人とはいつの時も己より優れた者をやっかみ貶めようとするものだ。大方その噂話の出所はあの第一皇子だろう。年ばかり食った能無し。己の身の振り方を知らない愚かさはシュナイゼルの一番嫌うところだ。


しかしその点、あの弟はどうだろう。いつ己の能力をどう使うかをよく分かっている。ただ、今回は少しばかり相手が悪かったのだ。幼子と皇帝ではあまりにも差は歴然であろう。しかし弟は皇帝を父と見てしまった。そこに最大の敗因がある。賢い彼はもう気づいた頃だろうか。













「クロヴィス。どうした?そんな顔をして」
「ルルーシュが、」


そこで黙り込み、それ以上言葉を紡げないで居る弟の表情は目に見えて沈み浮上する様子を見せない。優しい彼は弟家族のことが少なからずショックだったのだろう。彼はマリアンヌに少なからず憧れのようなものを抱いていたのを知っている。そうすると自分はこの弟にも可哀想な事をしたのだろうか、場違いに考えているとクロヴィスは何か思いつめたように口を開いた。漏れたのは疑問。


「何故、どうして…兄上が?」
「なにがだ?」


わざとらしく肩をすくめて問い返せばそれは弟の感情を逆なでしたらしい。同じ蒼の瞳を憎しみにも似た色に染め兄であるシュナイゼルを睨むように見つめる。


「惚けないでください!兄上なんでしょう?!マリアンヌ皇妃をっ!」
「クロヴィス」
「…っ!」


この弟が感情的になるのはそう珍しいことではない。しかしこんな誰が聞いているとも知れないところで感情に任せて者を言われても後々面倒だ。咎める音を持って名を呼べばクロヴィスは半ば悲鳴に近かったその叫びを悔しそうに押し込めた。唯一抗うように逸らされている瞳には薄っすら涙が滲んで見える。
幼い弟妹を思う愚かな弟が愛しくてシュナイゼルは、くっ、と喉の奥で笑い彼の疑問へ答えを導くため口を開く。


「こうすればルルーシュはきっと私を殺しに来るよ」
「えっ…?」


言葉を失う弟に優しく微笑みかけてやる。こうすれば自分たちは誰よりも似ているはずだ。しかし考えはいつまでたっても歩み寄らずお互いを理解できる日など気やしない。
シュナイゼルは知りたかっただけだ。守るべき者を失った、体裁を取り繕う必要の無くなったあの黒の皇子はいかほどまで修羅になるのか。皇帝は大切なものを作るなと言う。弱さを作るなと。しかしあの弟は、母と妹という大切なものを二つも持っていた弟は、シュナイゼルの目からして決して弱者には見えなかった。それどころかそれを守ろうとする幼い姿は勇敢ささえ感じさせるものだったのに。
その弟から守るべきものを奪い去ったらどうなるのだろう?行動の根底にあるのはいつだって純粋な疑問、好奇心だ。そうして一人の后妃の命すら奪う。
彼はきっとこの大国へ戻り復讐を果たす。はたしてその感情は大事なものを護ろうとする心よりも人を強くするのだろうか。それともやはりその心は弱さでしかなく、復讐という灰暗い負の感情こそ彼を勇敢にみせるのだろうか。
自分を殺しに来る。その時。あの紫紺が、どんな色で己を見るのか。それだけが知りたくて私はこれから生きるのだろう。想像したそう遠くないであろう未来に感じる喜びを止める事はできなかった。
(早く私を殺しおいで)













薔薇は私が食べた